大きな丸いちゃぶ台を女性スタッフとともに囲んでいるおばあちゃんがいる。食事を頂く際の合掌をする姿を写したカラー写真は、信仰の世界に生きる人たちのように見える。苦しみを抱え、救いを求めて訪れる人を受け入れ、ともに食事をし、寄り添う活動をしているという佐藤初女は、著書『「いのち」を養う食』の中で食がすべての基本だと諭す。料理について初女は語る。手ほどきしてくれる人を身近に見つけることと、こちらから求めていくことが大切なのではないでしょうか。
食が大切なことを唱え、みんなで食卓を囲むことを勧めるのはなぜなのか。そんな疑問にこう答えている。食事というのはさまざまな食材から「いのち」をいただくわけですから、必ず元気になるんです。理屈も何もなく、とてもストレートなことなんですね。ちゃんと食べれば頭も働くようになって、考え方も変わってきます。そして、みんなでいっしょに食べるということも大切です。現代は家族がバラバラに食事をする「個食」が増えていますが、子どもが1人で食事をするのは、やはりさびしいと思います。鍋のように1つのものを、みんなでいっしょに囲んで食べるのがいいんですね。
人の命を育むのは、いのちのある食材だ。初女は食べることの哲学を語っていく。冷凍食品には「いのち」は宿っていないんです。だから、「いのち」のある新鮮な食材から、料理を作ることが大切なんですね。レストランはプロが料理を作って、お客さんにお金を払ってもらう場所なので、それに見合う料理を出さなくてはなりません。品数も多く揃えて、凝った料理もたくさんあります。でも、家庭料理は品数がたくさんある必要はないし、凝った料理を作る必要もないんです。お母さんが家族のことを思いやりながら、「ていねいに作る」ということがいちばん大事なのです。品数は少なくとも、食材の「いのち」を大事にした料理は、子どもの体の中に入って元気にしてくれます。急いで作ったものや、「めんどうだなあ」と思って作ったものは、形だけの料理になってしまうんです。
初女は言う。料理は五感で作る。だから計量カップや計量スプーンも使ったことがなく、時計も計ったことがないという。何度も繰り返し同じ料理を作って、何度も味見をすれば、自然と上手に作ることができるようになるんです。まさに神の手、神の舌の持ち主であり、料理の試行錯誤によってそれらを会得したのだ。減塩が叫ばれる今日にあっても、泰然としてこう切り返す。自分でおいしく感じられる塩分が、「適塩」なんですよ。ただし、いい塩を使いなさいと注意をする。塩が固まらないように凝固防止剤を混ぜてあるような塩は、いい塩とは言えないとなる。
腹を満たす料理から、心をも満たすものに高めていく。そんな道筋を初女は示しているようだ。自分の感覚で料理をすると創造的になると指摘する。レシピの分量や時間にとらわれず、自分の感覚を信じて調理してみましょう。そうすればだんだん料理が楽しくなってきて、レシピにある材料が足りなくても、「今ある食材で、何か組み合わせることはできないかな?」と考えるようになるんですね。ふだんとは違う組み合わせが、思いがけず成功しておいしかったということになります。
初女の言葉の数々が乗り移ったかのように体内に沁み込んでいく。おむすび―ご飯の一粒一粒が呼吸できるように。だし―昆布が気持よくのびていればいい。まるで生き物に接しているような物言いなのだ。食材に丁寧に接し、気遣ってあげる。なぜなら、そこに「いのち」が宿っているから。こんな風に料理をしていたら、生活も丁寧なものになり、物を大切に扱い、人格だって磨かれるというものだ。常備菜こと、作り置きを何品か準備しておくことも、毎度の食事で料理づくりに全力疾走しないでいいような工夫もちゃんと指南している。
著書を読み終えて思う。目に見えるすべてのものが「いのち」の存在に置きかえられ、それらが実に愛おしいものとなっていく。つくり手が創造的な心持ちになったとき、料理もまた創造的なものになってくる。創造的な料理が生み出される日々を送っているのならば、その人の人生もまた創造的であるに違いない。
今日のひと品:ポークあらびきウインナと赤のヱビスビール ミディアムレアにウインナを電子レンジで焼き上げ、あらびきマスタードを付けて頬張る。ウインナの皮がパンとはじけ、肉汁があふれ、芥子の粒粒が混ざって、塩味が最高の味わいとなる。ジョエル・ロブションが認めたというヱビス赤缶が付け合わせとなる。ところで、ロブションは何を認めたのかな?