夜の寝しな、傍らにあるラジオのスイッチを入れると朗読をやっていた。中年の男性アナウンサーの声が左耳から入ってくる。文学作品だ。聞いているうちに流れが少しずつ分かってくる。物語の展開がひと区切りすると、背景や主人公の心理状態などの解説が入る。作品は太宰治の絶筆となったグッド・バイ。戦後まもない昭和23年の作品だ。若いときに読んだことがある。次の展開を読みたかったなあという読後感が残った。妻子がある身ながら、幾人もの愛人をこしらえた男が、人生をまっとうにやり直すために愛人たちとの縁切りを画策する物語である。今までいろいろありがとう、それじゃ今日をもって、さようなら。愛人たちを訪ね巡り別れを告げるグッドバイ行脚。語り口の巧みさで読む者を物語世界に引き込む筆達者の太宰によるラブコメディになるはずだった。
朗読が再開され物語が展開していく。愛人とグッドバイするために男は浅知恵を働かす。妻同伴で愛人を訪ね関係が破綻したことを悟らせようとの魂胆。同伴するのは本物の妻ではなく、拝み倒して妻になりすましてもらった顔見知りの女である。すっかり忘れてしまっていた物語の詳細が立体的に浮かび上がってくる。暗い寝室の中で朗読の声が流れ続ける。閉じた目の下で言葉が動き回って形となり場面が現れる。文章や単語の合間に句読点が入り込む。そんな中でアナウンサーが発した単語が耳に引っかかり、瞼の下で!が幾つも並ぶ。かいりき。その単語は頭の中でとどまり、漢字に置き換わった。「怪力」
怪力の女! どんな女なんだ?
作品は、さあ、これから、という展開の所で途切れる。太宰が愛人とともに東京三鷹の玉川上水で入水したからだ。読者は映画で言う予告編だけを見せられ取り残された感じとなる。それで本編を見たかったなあ、となる。愛人にグッドバイする作品を書いていた小説家が愛人とともに人生にグッドバイしてしまう。軽やかな筆致の絶筆に作者の重苦しい末期が重なって、作品は強い印象を残して今日に伝わる。
翌日、青空文庫でグッド・バイを再読する。耳で聞く朗読、目で読む黙読。どちらでも作品の魅力、おかしみ、小賢しい男の性、強欲な女の性が伝わってくる。主役の男女2人には敗戦後の虚脱など微塵もなく、しっかり闇商売でひと儲けして日々を生き抜いている。怪力女は大食漢でもあったのだが、食べ尽くした料理の品々がたくさん列挙されて大笑いする。同時に、あの時代でも金さえ出せば、おいしい物をたらふく食べることができたんだなと思ってしまう。実際のところはどうだったのだろうか。グッド・バイが発表された昭和23年は団塊の世代の人たちが世に生まれ出た頃でもある。戦争で多くの命が失われ、生き残った者たちは職を探し、食を求め、家庭を作り、新生児を育んだ。そんなご時世に愛人と別れるのに汲々とする男が主人公のグッド・バイが発表された。
身勝手な男を振り回し、げすな下心を粉砕するのが怪力女である。読んでて痛快になる。女たらしの悪漢色男を女子プロレスラーもどきの女が脳天唐竹割り、ココナッツクラッシュ(椰子の実割り)、フライングヘッドシザーズでこてんぱてんにやっつける爽快さでもある。最後は4の字固めで決めである。男は「もう2度としません! 助けてー」と断末の声を振り絞る。ああ、怪力女の活躍を読みたかったなあ。若いときの読後感とまったく同じだ。