豊穣の秋に田園路をドライブする。車中の音楽を止めて目の前に広がる景色を味わう。無音の空間に無数の色彩がフロントガラス越しに飛び込んでくる。収獲の秋はさまざまな色でもってわたしを誘う。色仕掛けに弱いのは男の常ならば、車を降りて色香の世界にあえて迷わされようじゃないか。
稲穂を脱穀した後も、捨てることなく、きちんと活かそうというのが田園の伝統であり、常識ということを教えてくれる光景がここにある。

自称・野菜ソムリエのわたしからの出題。さて、目の前にある野菜がなんであるか分かるかな? スーパーで売り切るために小分けされた野菜ばかり見ていると、本体そのものの姿を見失ってしまう。野菜が野性の主だってことを忘れないようにしないとね。
正解できれば、かなりの野菜通だ。左側がとうがん、右側がかぼちゃだよ。
見れば見るほど、食べ物というより、もそもそと動きだしそうな生き物だ。
大地の恵みは野菜や穀物だけじゃない。肉もまた食らう悦楽を人に味わわせてくれる。
さあ、食処の引き戸を開けて足を踏み入れ、いざ注文。美味そうな肉が目の前に運ばれてきた。

地産地消の見本である。豚、牛、鶏の肉切れ、ソーセージ、ウインナがどっさり。
色よし、艶よしで食欲をわきたたせ、口の中が自然と潤ってくる。
食の仕方はいろいろだが、田園の中の食処ならば炉端焼きと行こう。
もちろん炭火で鉄板を熱していく。
トングで一品ずつ鉄板の上に置いていくところから食事が始まる。

程よく焼き上がるまでの待ち時間に、舌と食道と胃袋が一体となってうごめき出す。
十二指腸や小腸、大腸までもが、まだか、まだか、とせっついてくる。
さあ、どうだ、と言わんばかりにいろんな小鉢、小皿に盛られた小料理が次々と運ばれてくる。
待ち受け状態の食欲を少食、腹八分モードから、大食、無制限モードへ切り替える。

号砲一発、トングが鉄板から肉や野菜をつまみ上げ、箸がそれらを引き継いで口元へ運ぶ。
舌が、食道が、胃袋がぬるぬると動き、目が、指が、腕が次はどれにしようかなと狙いを定める。
わたしによる、わたしのための無伴奏田園独奏会が始まる。食べている途中で、ふと目の前に立ち会い傍聴の主がいるのに気づいた。

双葉山がわれ未だ木鶏たりえずならば、当方はわれ未だ木鯛たりえずだ。
とどまることのない食欲の奥義を極めるのは、さて、いつの日か。