おはようヘミングウェイ

想う 観入る 書き表す そして存在が生まれてくる

心技体 Disunited Colors 7

千秋楽の取り組みが終わって、ある相撲部屋の打ち上げに案内されたことがある。後援会が主催しホテルでの立食パーティー形式だった。後援会の会員や力士の家族、親族らでにぎわっていた。

後援会の会長が勝ち越した幕下力士に金一封を手渡すセレモニーがあった。そこでの力士のマナーの悪さに「親方よ、技もいいが礼儀も教えてよ」と思ってしまった。片手で受け取ったり、落ち着かない仕草で手渡されるのを待っていたりと、土俵に上がった時とはあまりにも落差のある腑抜けた態度の連続に塩でもまきたい心境だった。




ここで「心技体」を持ち出すと説教くさくなるけれど、やっぱり言う。「歌舞伎役者までとは言わないが、せめて日舞でもやって少しは所作の美しさを身に付けてよ」。人間としての魅力、繰り出す技の美しさ、日々の鍛錬で鍛え上げた強靭な体は人を引き付ける。虜にするものがある。今の相撲の盛り上がりの無さはこれら三位一体がいびつな形になっているからだ。

柔道の世界選手権やオリンピック然り。「あれが柔道の技なの」と思えるほどのヘンテコリンな投げや倒しという見苦しい技で「有効!」だったり「技あり!」となる。あれは技みたいなもの、技崩れ、技もどき、技に似て非なるものではないか。つまんないよ、あんなのが柔道じゃ。山下らかつての日本柔道のきれいな技を見たい。

心技体は形ではない。生き方だ。正しい箸の持ち方、茶道のたしなみ、仏壇に向かっての合掌、しなやかな歩き方、笑顔か会釈付きの挨拶、朝陽を浴びながらのストレッチ、猫を抱っこしての頬ずり、遠くの親類に1年に1回ぐらいは「元気~」と電話してみる、きれいな日本語で毒舌を吐いてみる、誰も笑わないジョークをポツリと言う、などなど。心技体……落語の演題には無理だ。