おはようヘミングウェイ

想う 観入る 書き表す そして存在が生まれてくる

悪党芭蕉

帯文に引かれて「悪党芭蕉」を読んだ。嵐山光三郎の著作である。

帯文はこうだ。「奥のほそ道」の芭蕉曾良の彫像は至る所にあり、その句碑はそこかしこに作られている。芭蕉は<俳聖>という名の商品と化してしまった。しかし、その弟子たちは、裏切り者あり、斬殺犯あり、流罪者ありのトンデモない危険人物ばかり。そして、蛙の飛び込んだ「古池」は、枯淡の聖なる池ではなく、ゴミも浮いている混沌の池だった―神格化され、<宗教>となった芭蕉の真実の姿を描く、画期的な芭蕉論。

獅子吼し、張り上げて声を枯らした文章が帯を埋め尽くす。芭蕉は「三百年前の大山師」だった!by 芥川龍之介。今まで誰も書けなかった本当の芭蕉。句作に込められた危険な秘密……。<俳聖>松尾芭蕉のベールを剥ぐ力作。

読んでみた。連歌(歌仙)での表現者たちの確執、思惑、力量の差などが臨場感を持って読み解かれる。生涯独身だった芭蕉の妾の存在、衆道や美少年との紀行、俳諧師としてのなりわいと苦悩、死出の旅、終焉の場面など「俳聖の真実」を描いている。

読み応えはあるが、読後感は清清しくない。どんよりとした気分が心中に滞っている。この嫌な感じはなんだろうか。俳諧で高みを極めた芭蕉。弟子たちに囲まれながらも世俗で生きていくことの孤独みたいなものが伝わってくる。旅をして未知の風景に接すること、美少年に想いを馳せることが芭蕉にとって世に存ることの楽しみではなかったか。

芭蕉は一番弟子・去来の故郷長崎への紀行を念願していたが、果たす前に大阪で客死する。病中吟の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」は、結果として辞世の句となった。芭蕉にはそんなつもりはなかった。没後、弟子たちは分裂していく。芭蕉の無念さが読後感を重苦しく覆っている。